ライフ・イズ・ビューティフル (映画の中のアドラー心理学)
金曜日は、「映画の中のアドラー心理学」
今回は、「ライフ・イズ・ビューティフル」という作品をとりあげます。1997年のイタリア映画。ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演作品。第二次世界大戦下のユダヤ人迫害(ホロコースト)を、ユダヤ系イタリア人の親子の視点から描いた作品です。
苦しみから抜け出す方法
アドラーがこんな言葉を残しています。苦しみから抜け出す方法はたった一つ。他の人を喜ばせることだ。「自分に何ができるか」を考え、それを実行すればよい。
過酷な収容所生活で、主人公は幼い息子をおびえさせまいと、収容所生活は戦車を得るためのゲームで、泣いたり、ママに会いたがったりすると負けてしまい、戦車がもらえなくなると息子に吹き込みます。
死と隣り合わせの収容所生活。主人公の選択は、息子を笑わせ、勇気づけることでした。
個人が存在する意味
アドラーの言葉です。個人が存在する意味とは何か?それは、人を助け、勇気づけ、喜びを与えることである。
主人公は自らの存在を賭け、息子と、離れて収容されている妻を懸命に守ろうとします。映画の最後、ナチスの撤退後、ゲームの「シナリオ」通り収容所に連合国の戦車が現われ、息子と妻は解放されます。息子は母親と再会することができました。しかし、そこに最後まで息子を守りぬいた主人公の姿はありませんでした。
実際、ユダヤ人のアドラーは、ナチスの迫害を逃れるため、アメリカへ渡ります。残念なことに、多くのアドラー派の人が、収容所で命を失ったそうです。
この作品は喜劇です
「収容所での虐殺」という重いテーマを、悲壮さを感じさせない喜劇仕立てにして、息子に対する父親の無償の愛情を描いた作品と言われていますが、「笑い」の持つ力がいかに人を勇気づけ、希望を持ち続ける力となるかを表現しているように思います。アカデミー外国語映画賞、主演男優賞ほか、数多くの映画賞を受賞した作品です。
そうだ、人生はすばらしい。
恐れの気持ちさえもたなければ…。
最後はチャップリンのことばでした。