映画「サイン」 (映画の中のアドラー心理学)
金曜日は、「映画の中のアドラー心理学」。
今回は、メル・ギブソン主演の映画「サイン」。
こんな映画
信仰に篤い牧師のグラハム・ヘス(メル・ギブソン)は、最愛の妻を突然の事故で亡くしてしまう。その時、ある霊的な現象が起きたことでグラハムは神に対して疑念を抱き、やがて牧師を辞める。農夫となったグラハムは、弟と2人の子供たちと共に平穏な日々を送っていた。だが、ある日、農場のトウモロコシ畑に巨大なミステリー・サークルが出現して以来、奇怪な出来事が続発する。幼い娘には不吉な予知能力が宿り、農場の周囲に次々と不幸が起き始める。グラハムはミステリー・サークルがなぜ自分の農場に現われたのか、それが意味するものは何なのか調べようとするが……。(alcinema ONLINE)
ヒッチコックの「鳥」をエイリアンに置き換えただけでは?。公開時には、シャマラン監督本人が先に“オマージュ”と認めた作品。シリアスなのか、コメディなのか?
人は意味づけの世界に生きている
意味は状況によって決定されるのではない。われわれが、状況に与える意味によって自らを決定するのであるアドラーの言葉です。この作品には様々な「サイン(予兆)」が登場します。なぜ?登場人物も、観客も、サインの意味を探ります。妻の死に対し、その時と、映画の最後では主人公の意味づけが変化します。様々なエピソードの結果、意味づけが変わったように描かれますが、実際は違います。私たちもそう考えますが、実際は違います。実際は、意味づけなんてどうにでもできるんです。その時々で、自分のためになる意味づけを施しているだけ。
人生の意味って?
人生の意味を探す。誰もが少なからず模索します。人生そのものには意味はありません。文字通り、人が生きた結果が人生です。意味は本人や関係者が自ら意味づけするだけのもの。どのように生きたいと考え、行動するか?最後に後悔のない人生を過ごせたか?「いま、ここ」に集中するしか術はありません。偶然?それとも必然?
これも、意味づけ次第です。前に進む意思に繋がるなら、どちらでもいいんじゃないかな?って思います。今回、この投稿をするにあたり、ネタ探しをしていました。Facebookのお友達が、電磁波に関しての投稿をしていました。検索好きの私は、いつものようにGoogle検索をしました。電磁波と、このイメージは元々結びついていたので、「電磁波 サイン」で検索すると、やはり結果に表示されました。こんな画像もありました。可視光線も電磁波のひとつなんですね。ふ~ん、なんて思っていたら...。
共同体意識の話になると、こういった事象の連鎖もありうるというような話もありますが、長くなるのでやめておきます。意味づけは自ら行うものなので、どうにでもなるということを覚えておいてください。
意味づけの裏には必ず目的がある
ひとつの事象に対して、意味づけは人それぞれです。ある人はポジティブに、またある人はネガティブに捕らえます。そこには必ず本当の「目的」があります。仕事でミスをしたとき、ある人は仕事をこなすことを目的に、「失敗は成功の元」と意味づけをして仕事に専念しようとします。またある人は、叱られないことを目的に、「ついてなかった」と意味づけをして落ち込んで見せたりします。この作品でも、主人公が一度は神を信じることを止めますが、信仰心を再び取り戻します。妻の死をはじめとする様々なサインを、それぞれに施す意味づけを変えることで、信仰と共に生きるという目的を思い出します。妻を失ったという状況は変わりません。アドラーの言葉にあるとおり、意味は状況によって決定されるのではなく、われわれが、状況に与える意味によって自らを決定するのです。
人生に意味はありません。生きる目的があるだけです。あなたが生きる目的は何ですか?見失わないように。
この作品、賛否が分かれます。トム・クルーズ主演の「宇宙戦争」もですが、結末がそれ?だからかな?。技術力がはるかに高い宇宙人に勝つのは「愛」ってのは、いいんじゃない?って思います。あの状況なら、信仰心や愛に目覚めてもおかしくないでしょ?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。