レオン 映画の中のアドラー心理学

殺し屋レオンと12歳の少女マチルダ。暴力シーンもたくさんありますが、愛もたくさん詰まった作品です。恋愛映画なのか?というとそうでもないような。

監督・脚本:リュック・ベッソン
出演:ジャン・レノナタリー・ポートマンゲイリー・オールドマン
音楽:エリック・セラ



まずは予告編をどうぞ。完全版の予告です。


レオンについて

職業は殺し屋。観葉植物を大切に育て、好きな飲み物は牛乳。報酬を搾取されていても気にせず、依頼をこなす。腹筋を鍛え、眠るときは座ったまま。クールな様で、実はそうでもない。

レオンが関わる人は、彼が殺す人。人として大切な何かを忘れたくない、実は人と関わりたい。彼の想いを象徴するのが観葉植物への執心。彼なりの愛情を注ぎます。レオンにとって、観葉植物は人。人は人との関わりなしに生きることはできません。

牛乳もそうなのかもしれません。子供のころに想いを馳せ、手を人の血で汚すことのなかったかつての自分を忘れないためなのかもしれません。

マチルダについて

レオンのご近所さん。家庭環境はあまりよくない。弟想いの姉。ある日、家族を惨殺され、レオンに助けられる。目いっぱい背伸びをして大人ぶる。頭の回転が速い。

ありのままの自分をレオンに受け入れられたことで、自分の居場所をみつけたマチルダ。家庭内で唯一人として関われた弟。マチルダにとってレオンがそんな存在になっていきます。マチルダの望んでいたのは男女の愛ではなく人間としての愛。

二人の共同生活

マチルダの言動に右往左往するレオンの様子が面白い。レオンの「仕事」を手伝いながら、二人は次第にパートナーとしての関係を築いていく。レオンは殺し方を教えるわけですが、これはレオンにできる唯一の援助な訳です。教えることができる唯一の生きる術は人の殺し方。そう思い込んでいたレオン。実はそうではないのですが。

家族を惨殺されても、ショックで失意の日々を過ごすのではなく、レオンの仕事を手伝うマチルダ。トラウマになってもよい状況ですが、彼女の選択は生き抜くこと。復讐心が心の支えだったのかもしれません。彼女の復讐心が、クライマックスへの布石になります。

人を癒すのは、人との関わり

暴力シーンが多い本作品。人を殺すのが人なら、癒すのもまた人。結局、対人関係というのは生き続ける間どこまでも続きます。仕事柄、目立たぬように、対人関係を避けて生活するレオンも心から欲していたのは対人関係。家族と暮らしながら、まともな対人関係が築けなかった間チルダもまた然り。たった12歳で、大人になるしかなかったマチルダ。人間として成熟することを余儀なくされたというのが正しいでしょうか。

メイキングビデオがありました。実は、マチルダのような境遇に置かれる子供たちは世界に目を向けるとたくさんいます。身勝手な大人の暴力を生まれたときから目にする中で、暴力が当たり前、日常になっていく子供たち。このビデオの中にもそんなシーンがあります。この映画のメッセージのひとつです。



大切なものを託すことによる勇気づけ

レオンが大切にしていた観葉植物。最後にレオンはマチルダに託します。再開を約束しながら。結局約束は果たされません。新しい環境で生きることを選択したマチルダは、観葉植物を大地に植えます。私の新しい居場所はここ。そんな彼女の決意を感じるシーンです。

同時に、観葉植物の成長を見ることで、レオンとの関係を保とうとしているようにも見えます。人間は死んでしまえば終わりなのか?というとそうではありません。死んでもなお、想いは生き続けます。死んでも人を勇気づけ続けることもできます。

全ては意味付け次第です。悲嘆にくれ、過去に生きるのか、それとも死者の想いを胸に、今そして未来に生きるのか。

さいごに

こんな感じで映画のなかのアドラー心理学は進みます。作者の意図とは異なることも多いと思います。映画も意味づけをしながら観ることで、自分の血肉に変わります。意味づけは自分との対話です。アドラー心理学について全くご存じない方には意味不明なこともあると思います。30万部を超えるベストセラー「嫌われる勇気」。この本を57回にわたりブログに書きました(残り5回)。よかったらご一読ください。

嫌われる勇気(1/57)

こんな映画の観方もあるということで、何かの役に立てば幸いです。