つれづれなるままに

徒然なるままに

日ぐらし

硯に向かいて

心にうつりゆくよしなし事を

そこはかとなく書きつくれば

怪しうこそ物狂おしけれ

 

徒然草の冒頭。

書くという行為は、時代が変わっても、これに尽きるのではないだろうか?

 

記録したい、伝えたい、整理したい。

書く目的は様々。目的なしに、感じたり、考えたりすることなしに、ボクは何かを書くことができない。

 

書きたいことがあるから書く。

逆に書きたいことがなければ書かない。

 

いつもこんな風にシンプルな考え方でいれたらいいのだが、仕方なく書かなければならない時もある。例えば、仕事の報告書なんてのがそうだろう。

 

ところで、SNSで発信することが苦痛に感じることはないだろうか?

 

どんな時に苦痛を感じたか考えてみた。

他者の発信に焦りや嫉妬を感じた時に、苦痛を感じることが多かった。幸せそうな投稿、楽しそうな投稿、とてもためになる投稿、そして多くの共感や賞賛を獲ている投稿。承認欲求と、劣等感が原因。

 

ボクの場合、「書きたいから書く」という、シンプルで穏やかな考え方とは真逆の状態に陥ると、苦痛を感じることになる様だ。

 

ならばどうすればいいのだろう?

そこで、一度全てをリセットすることにした。

ブログやFacebookも閉じ、このブログもいったん放置。とりあえず、Twitterだけ更新の状態。ただ、Twitterも今までの承認欲求と劣等感の残骸が数多く残った状態。今の状態を知るにはあまりにかけ離れた状態だった。

 

そこで考えたのが、減量。Twitterに状況をメモしながら開始。以下、Twitterの引用。

 

この辺りまでは、実に弱気だ。「とりあえず」なんてことばが象徴している。どこまで減量するか、葛藤していた頃。

この辺りになると、覚悟を決めた感がある。ようやく受け容れた模様。受け容れると、視界が拡がり、今まで見えてなかった、見ようとしなかった視点が現れる。

己のダメさを隠す気もなくなり、降参モードに入ると、失敗を役に立てようとし始める。あたまの中に置いておくだけも可能だったが、シェア。成功ネタより失敗ネタの方が役に立つから。

 

先が見えない状態から脱し、次に何をするか目的を見つけた状態。ここまで来るとあとは早い。

 

そしてTwitterの減量は終了。完全に仮面を被った状態から、丸裸にした。この一連の作業を、冷たいと感じる人もいるだろう。「新しいアカウントを作ればいいじゃん」って人もいるだろう。ボクは自分への戒めとして、この作業を行った。戒め以上に、このアカウントに愛着があったから、無くす選択は浮かばなかった。

 

つれづれなるままに。

ボクはブログが好きだ。好きなことができない(実際はしないだった)のは、ストレスフルな経験だった。たまたまだが、先日Twitterを始めて7年のお知らせが届いた。ちょうどいい区切りになった。

 

140文字で考え、語る。Twitterの面白さはあるが、ブログの無制限の世界は捨て難い。

 

つれづれなるままに書ける状態が戻ったことが嬉しい。