眉山 (一冊の本が繋ぐご縁)

木曜日は、「一冊の本が繋ぐご縁」
今回は、はじめて死と対峙した体験を書いてみようと思います。


眉山 (幻冬舎文庫)/幻冬舎
¥535
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こんな本

内容(「BOOK」データベースより)
東京で働く咲子は、故郷の徳島で一人暮らす母が末期癌で数ヶ月の命と告知される。徳島に滞在し、母を看取ろうと決心した矢先、咲子は母が自分に黙って「献体」を申し込んでいたことを知る。それはなぜなのか?やがて咲子は、まだ会ったことのない父の存在と、母の想いに辿り着く―。毅然と生きてきた女性の切なく苦しい愛が胸をうつ長篇小説。

著者はさだまさしさん。映画にもなりました。「献体」を採り上げた小説です。

献体とは

こちらをご覧下さい


1.献体とは

この本の中で、献体の制度について、どのような処置を施し、献体がどのように使われるのかについての記述があります。ご遺体は、防腐処理が行われ、解剖実習が行われるときがくるのを待つことになります。

実は...

以前、仕事の一環で、処置の一部、そして解剖実習に立ち会ったことがあります。なので、この本の記述は、小説として書けるギリギリの線だということも分かります。これ以上でも、これ以下でもダメなギリギリの表現。

それまでにも、祖父や祖母の最期に立ち会ったので、遺体を見るのは初めてではありませんでしたが...。

でも、一度にあれほどたくさんのご遺体が並ぶのを見るとね...。

いろいろと考えた訳です。




生前のこと、ご遺族の想い、どうして献体を望んだのだろう?などなど。

もちろん知る術はありません。ぼんやりと浮かんだのは、死は無に帰すことではないということ。たとえ肉体は滅んでも、遺るものは必ず何かある。死に現実感が生まれ、生と死は隣り合わせであり、死を意識しながら生を楽しむことが生きることなのでは?など、いろんなことを考えました。

死んだらどうなるなんてことは、私には分かりません。全ての人は、生まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まります。命には限りがありますから、仕方のないことです。そして、カウントダウンはいつゼロになるかも、誰にも分かりません。今生に想いを遺すことなく、生を満喫して最期を迎えること。そのために出来ることは、イマを精一杯、納得しながら刹那を生きるしかありません。

主人公の母親が、とにかくかっこいいんです。死を目前にしても、ぶれない自分軸を持った女性です。クライマックスで、逢いたかった人が目の前にいるのに、彼女の軸はぶれません。最後まで、自分を貫きます。


先日、Facebookの友人が阿波踊りの動画を投稿していました。ぞめきを聴きながら、この本を想い出した次第です。死を怖れながら生きることはナンセンスです。遅かれ早かれ、生あるものは必ず死を迎えます。こういう話になると、いつもお願いしたくなります。

頼むから、イマを楽しんでください。

まぁ、余計なお世話ですけどね...。

ただ、今週は月曜日からこんなことばかり投稿しているので、「でも、どうしたらいいか分かりません」なんてメッセージも届いたりしています。可能なら、このイベントに一緒に行きましょう。
必ずヒントがありますから。また最後は宣伝か!はい、そうです!!。でも、関係者じゃないからね。参加者として楽しみにしているだけよ(笑)。

Knock on the DOOR~イマを楽しむライブ~ on Strikingly

すごく中途半端な内容になってしまいました。ご希望があればもっと詳しく書きますが、アメンバー限定記事にするしかありません。特に募集している訳ではありません。時々突然リクエストが届きますが、承認していない状況です。本気で知りたい方は、メッセージ下さい。