はじまりは勘違い
今の仕事に就いて10ヵ月。
これほど時が経つのを早く感じたことはない。
過ぎてみたら、あっという間の10ヵ月。
今の仕事は花屋。
街の花屋ではなく、葬儀専門の花屋。
葬儀屋だと思って応募したら、花屋だった。
完全に勘違いしていたので、志望動機も葬儀屋仕様。
でも、何故か採用されて今も働いている。
はじまりは勘違い。
人生とは、生命ある限り続く、未知への旅。
どう転ぶか分からないのが人生。もし、予定された人生なんてのがあるとしたら、苦痛極まりないのではないだろうか?。
心からそう思うようになった。
ボクの就業は勘違いから始まったけど、日々の仕事は「死」から始まる。式場を花で飾り、出棺の時は棺を花でいっぱいにするのがボクの仕事。
仕事はいつも突然。
そりゃそうだよね。
葬儀の予約なんて、今のところ聞いたことがない。
目の前には亡くなった人がいて、ボクは生きて花を飾る。そこには大きな境目があって、ボクはいつも、
「生きている。ボクの生命は続いている」
そう、強く意識する。
同時に...。
「生命は必ず尽きる」ことも実感する。
永遠の命なんてないんだよ。
もしかしたら、明日終わるかもしれない...。
人生は未知への旅。
何が起きるか分からないって、そういうことも含んでるんだよね。
やりたいことはやった?
伝えたいことは伝えた?
頭では分かっていたつもりだったけど、仕事柄、「死」というものが日常になって、今まで以上に「生」を強く意識する様になった気がする。
でも、それは生への執着とは違って、
「限りある生命をどう使うか?」
そっちに向いている。
友人からの勧めもあって、ようやく重い腰を上げて書き始めた訳ですが、タイトルもなければ、キチンとしたコンセプトがある訳でもなく、日々感じたことを書いてみたくなった次第。
伝えたいことは伝えた?
の一環。
巷では、「エンディングノート」を書く人が増えたらしい。
いい事だと思う。
個人的には、死にゆく自分の願いを書くより、残った人が困ったり、迷ったりしないための羅針盤の様なものがいいのでは?って思う。
生きている間に、関わりのあった全ての人とそんな話が出来ていれば、葬儀は要らないんじゃないか?ってさえ思う。
でも、それってなかなか難しいので、お別れが出来ていない心の準備が必要な人のために執り行うのが葬儀。
そんな風に思う。
明日も飾りに行きます。