常識を疑うことから始めてみよう ~大いなる無駄を大切に
常識を疑うことから始めてみよう ~大いなる無駄を大切に
昨日のインスタグラムより
(スマホの方は読みづらいですよね?ごめんなさい)
この本の中に、アドラーのこんなことばが使われていました。
憂うつ?他人を喜ばすことを毎日考えてみることです。そうしたら、きっと二週間で全快しますよ。いいですか、不幸になる人は、自分のことだけを考えているんです。 by アルフレッド・アドラー
— アドラーのことば (@adler187027) 2015, 7月 21
このことばだけ読むと、よほどインパクトが強いのか、常識では考えにくいのか、毎回反響の多いことばです。
「そんなん無理やろー!!」って感じるんでしょうか?
「常識を疑うことから始めてみよう」の中では、こんな風に解説してありました。
自分をよくしたかったら、自分を良くすることを目指すのではなく、他人を良くしろ、というのです。
行き詰まっている人は、自分のことしか考えられなくなっています。
これは、そのフレームをポンと外してあげる処方だったわけです。
誰かのためにって、ほんとは自分のためじゃないの?
この本や、アドラーに限らず、色んな場面で耳にしてきたのではないでしょうか?
でも、うまくいかない人も多いのではないでしょうか?
自分が悩んだ経験を活かして、誰かの役に立てたい。
すてきな考え方だと思います。でも、自分が立ち直るためにというのが目的であるうちはうまくいかないと思います。
実は、私もそうでした。
誰かのためにが、形だけになっていたんですよね。本当にその人のためにではなく、辛い自分の現実からの逃避だったり、承認されることが目的だと、逆に疲弊します。
本当に相手のことを想うのであれば、共感することだけでは足りません。時には厳しい現実に引き戻すことも必要です。
辛い現実を、共にどうやって乗り切るか。
勇気づける、応援するってそういうことなんじゃないでしょうか?
じゃあ、どうすればいいの?
ひとつだけ挙げるとすれば、無駄を惜しまないことでしょうか?
時間の無駄、お金の無駄を惜しまず与えることかな?って思います。
だって、時間は有限だし、お金も、費やす時間をお金儲けに充てるほうがいいじゃないですか?(笑)
でも、だからこそ、大いなる無駄をしてくれる人って本当にありがたいなって思います。
私のために、大切な時間を使ってくれる人、
その時間で稼げるお金より私のことを想ってくれる人
SNSの世界には、そんな大いなる無駄を労を惜しまずしてくれる人がたくさんいます。
例えば…。
まとめサイトや、お役立ち記事を書く人たち。
便利なツールを開発してくれる人たち。
自分のためだけにやっている人は、疲弊し、そのうち消えていきます。
でも、誰かのためにって活動する人は、そこで踏ん張りれます。
日本では未だに生産性が重視されます。
効率が悪いとすぐに切り捨てようとします。
ってことで、大いなる無駄は、とても非常識なんです!。
でも、この非常識が時に、とてつもなく素晴らしい何かを生み出します。
ガウディの「サグラダ・ファミリア」みたいにね。
私はそんな人になりたいな。
(自戒をこめて)